社長と知り合ったのが今から15年前(ちょうどGT−Rが発売したのが平成1年)

埼玉県のとあるゼロヨン会場でした。

そのころ、僕は無論ドノーマルのGT−Rで社長はZの31でした。

RB2.4でタービンはいんちきTo−4E?だったかな(笑)

何回か社長と勝負して、多分勝ったと思うけど楽しかったなぁ〜(おやじ臭い)

その会場は正確にはスタート地点から400m無くて、通常のスタートラインからじゃなく、もっと後ろからやれって社長に脅された記憶が有る!

今は丸くなってるから良いけど、社長が20代の時はやばかったよう!

そのお陰で大分鍛えられたけど・・・

そんなこんなで、別にチームとかではなく数名の仲間で毎週ゼロヨンしてた。

当時は、サーキットなんて概念は無くストリートばっかりでした。

僕は、当初社長が勤めていたショップではなく、某ショップでいじってた。

そうこうしている内に、何と無く社長の居る店に顔を出すようになって何時の間にか

ステッカーが変わってたって感じ。

1番の理由は社長の溶接技術としょうも無いこだわり(ホースバンド2個閉めるのに2〜3時間)に惚れたからかな〜。

実際に店に行って皆さん溶接個所を見て下さい。

エンジンルームはかなり綺麗ですよ!!

等々、僕も社会人の仲間入りしてストリートは中々出来なくなってきた。

世の中も変わって、サーキット志向になってたし。

兎に角負けるのは嫌だったから、何時も社長と夢見たいなエンジンの話ばっかりだったな〜。(笑)

それが今の2.7にT300Sのツインだった。

最初はKKK F1タービンとかTo4Sとか言ってたけど・・・

よく覚えてないけど300Sになった。

タービン見た時はビックリ!

こんなの2個付けて本当に回るのかな〜って感じでした。

またまた時間がたって、社長が独立。

2人で床の塗装したり、棚作ったりで・・・

正月・ゴールデンウィーク・御盆全部BSWに泊まり。(笑)

実家には1日くらいかな。

アンダーコート剥がしや、クランク磨き・エアコン外し・自分で出来る事は結構やった。

社長に何度も怒鳴られ何度止めようかと思ったことか・・・

マジで泣いた事もあったような(笑)

そんなこんなでやっとこさ出来たのが今の車です。

文章にすると非常に簡単だけど本当にきつかったし辛かった。

楽しい事の前には辛い事がいっぱい有るのは分かっているけどマジで辛かった(笑)

社長は本気モードだし、後には引けないって感じ。

シェイクダウンは農道だったかな。

初めて乗った時は無理って感じで頭の中は真っ白だった。

セッティングも命がけ(笑)

そう言えば慣らしの時に社長は免停になりました(笑)

この車乗りこなすのに練習と言って社長のZに良く乗らされた。

またこの車が曲者で、アクセル離すとエンジン止まるし、非常に乗りにくい車だった。

1回もう嫌だって言って車降りたら社長は怒るし、店に帰って説教2時間くらい受けた。

HKSのミーティングで10秒台で凄く嬉しかったな。(今のレベルでは低いけど)

トラブルってあんまり無かったけど、OSのミッションはシェイクダウンで壊れた。

オイルポンプも砕けた。このくらいかな。

ヘッドボルトが伸びるのはしょうがないかな。

兎に角壊れなかったな。かなり覚悟はしたけど、思っていたより頑丈でした。

今の技術ならもっと乗りやすくて壊れにくいでしょう(笑)

この時代にしてはかなり進んだ内容だったような気がする。だって、出来上がって少し経ったら某メーカーのエンジンと一緒だったから・・・(笑)

是ばっかりは苦笑いするしか有りませんでした。

兎に角是非1度現車を見て下さい。

きっと満足すると思いますよ。